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この著者が最初、宗教学を志したというところが面白いナー
(2008-02-25)
初出の時期順の配列ではないこの書評集で、第1章冒頭を飾っているのがサイード『オリエンタリズム』。そこには「知識人と学者とは違う。知識人の本質とは、自分の学問的な専門領域をひとたび離れて、アマチュアとして現下に生じている世界の矛盾にたいして発言をすること」という言葉も引かれる(p21)。
続いてジョー・サッコ、若松孝二と、著者のパレスチナ問題への特段の関心が明示された後、蜂飼耳における「日本人を日本という枠組から解放して、ある生の原型を与えてくれる」(p32)ような神話的古層や地理的始原への遡行に触れ、次に村上春樹を手がかりに「文化的なコスモポリタニズムと、それに対するローカリティの問題」(p41)に一瞥をくれる。そして再び、鈴木道彦の在日朝鮮人問題への「関わり」に触れて、「知識人」として「関わる」ことの重要性の再認識を迫る。ここではサルトルの名が想起されて然るべきだろう。
次に20世紀音楽史における「ジャンルの越境と横断」(p46)の話題を経由して、重信房子の歌集。またもやパレスチナだ。次が伊健次『ソウルで考えたこと』。一転して福間健二の詩論集が取り上げられるが、「直線距離を選ばないこと。近道をしないこと。あえて思いきり遠回りをして、それから本来の場所に戻ってみること」(p57)という一節が、いかにも著者らしい。岡崎京子・村上龍・黒田硫黄を論じた後、吉増剛造と高銀の往復書簡集、その次は読書日記の形式で、『比較の亡霊』や『コーランの新しい読み方』と並べて絵本『てんしちゃん』の画家・南塚直子がハンガリーで学んだことに触れ、ここでも文化的越境の主題が顔を覗かせる…と続けていくとキリがないのだが、主題的一貫性を秘めた読み応えのある書評集。
著者に寝台での読書を薦められて、ナルホド読書と寝台の縁は深いと気づかされた。論文の1本も書けそうな気がする。それから、蓮實重彦への皮肉や当て擦りが随所に見えるのも実に笑えた。『オリエンタリズム』的な表象の政治性を問題にする立場からすれば、当然だろう。
異色評伝『先生とわたし』で読書界の話題をさらった四方田犬彦氏の書評
(2008-02-17)
昨年異色評伝『先生とわたし』で読書界の話題をさらった四方田犬彦氏の書評をまとめたもの。ソウルを含めて海外で教鞭を執った経験にもとづいているせいか、選ばれ、読まれた本も幅が広い。その読書を支える信念を同世代者としては強く支持できる。曰く「わたしはこういう背伸びをする姿勢、教養に対する憧れが重要だと思うんですね。」(p.13)「本を読んでいないから、いまでは大学生同士でも話が合わない」(p.12)など評者の職場でも起こっている現実を知悉した上で、書評を展開する。それは「かつて中国の賢人は、三日書物を読まないでいると口のなかにイバラが生えるという警句を残しました。わたしはlこれは真理だと思います。」という自省にもとづく。そして対象の書物を、レヴィ・ストロースの分類体系にしたがって収める。これがユニークで、まさに人間を護る構図が出来ており、素敵だ。曰く、第1章生のもの、第2章 火を通したもの 第3章発酵したもの 第4章読むことのマニアのための100冊、と構成している。そして第1章では映画監督若松孝二の「時効なし」を取り上げ、「実録・連合赤軍」撮影への強い意思を紹介するなど、実にユニークな作品も取り上げているのが本書の強みであろう。まさに生きる事の多面性を教えてくれる読書案内である。尚、「実録・・・」はベルリン映画祭でアジア作品賞を受賞した。
お仕事としての読書
(2008-01-21)
仕事や研究のために本を読むことは、読書ではない。読書とは、楽しみで読むもの。まことに正論だが、書評家が、雑誌の締切りを守って、原稿を書いて、原稿料を稼ぐのは、お仕事ではないのか?
まあ、所詮、新書版なんだからさ、読み捨てで良しと思えば、腹も立たない。
しかし、昔の四方田は、もっと良い仕事をしていた。年齢的にいえば、そろそろ集大成的な仕事をすべきだと思う。小林秀雄の「本居宣長」みたいな、さ。
「まあ時間はたっぷりある」って、50過ぎの物書きなら、あと何回満開の桜が見れるかな、と思い致す年齢ではあるまいか。トリュフォーもタルコフスキーも、50代半ばで死んでいるのを四方田は知らないのか。
ブックガイドとして読むよりは、結局ヨモタを読む感
(2007-12-06)
「本を読むさいにもっとも悪い読み方とは、勉強のために、仕事のために読むことである。(中略)本を読むさいにもっとも理想的な読み方とは、勉強とも仕事とも無関係に読むことである」
深く共感する言葉だ。ヨモタ氏は旅と書物について、こうも語っている。「つまり、わたしにとって書物を読むということは、実際にその場所に足を踏み入れることと平行した、対等な行為なのであって、両方が不可欠なのです」。書物は現実に従属している存在ではないってことだよね。「繰り返していいますが、書物を読むということは現実の体験なのです。体験の代替物ではありません」。一方でヨモタ氏は「わたしは書物しか読まない怠け者を憎む」というニーチェの言葉も引用している。
あるいは、「書物というのは他人が考えていることです」という言葉は当たり前のように見えて盲点だ。「書物のない世界になってしまったら、人間が書物になるしかないんだ」って言葉もあるけど、つまり、書物イコール人間、書物=他者ってことだよな。
このように、本書はヨモタ氏の書物論、読書論になっている。ブックガイドとしては評価が大きく分かれるだろう。ヨモタ氏の存在が大きすぎて、紹介される著書が隠蔽されるっていうか。ブックガイドとして読むよりは、結局ヨモタを読む感がある。もちろんヨモタを構成している背景に紹介されている書物の世界が広がっている訳だけど。ヨモタ氏は紹介する本に対して明確な視点を持ち、自らのモノとして咀嚼して読者に提示する。だからこそ、この書評に目を通しただけで読んだ気になっちゃ駄目、鵜呑みにしちゃ駄目だよね。知を身に着けるってのはストイックなものなんだろうな。ヨモタ氏は平岡正明同様、ケンカの常套で、スキを見せず常に攻撃を仕掛けていくタイプである。そのスキの無さ、ストイックさは、正直しんどいところもあるけど、僕にとっては畏敬の存在であり続けるのだ。
前書きにかえてが、とても良い。読書好きならきっと楽しめる本だった。
(2007-11-27)
タイトルにひかれて、読んでみた本。タイトルは筆者が作った言葉ではなかったが深い。
沢山の書評がまとめられた本で、さらさらと良い勢いで読み進められた。
さすがにプロが書いている書評はすばらしいまとまりで、本の内容と筆者の感想がいい具合にまじりあい、読み進めやすい。
自分の駄文と比べてはいけないが、情けなくなるというか。プロじゃないから仕方ないというか。
何か読みたい本を探している時に、この本から探してみるといいと思います。僕も何冊か読んでみたい本が見つかりました。
特に「前書きにかえて」は、読書を趣味とする人間にはたまらない内容で、うなづくこと必至です。

